現在の日本登山史を紐解くと、そこには必ずキャラバンシューズの存在を目にすることができる。
いまや、登山をするうえでは当たり前のように履かれている登山靴だが、いかにして日本を代表する登山靴が誕生したのか、
その歴史と歩みを振り返る。
日本山岳会隊による、 ヒマラヤ・マナスル登頂への挑戦。
遠征隊のアプローチシューズ、それがキャラバンシューズの原点。
終戦から7年目を迎えた1952年、世界に14座しかない8,000m峰の一つであるマナスルへの日本人による初登頂を目指し、登山界の総力をかけた計画が動き始めた。それは、戦後日本の復興と国際社会への復帰をかけた新たな世界への挑戦の始まりでもあった。
この当時、日本に登山靴が存在していなかったのかというと、そうではない。すでに登山靴と呼ばれる靴は存在していた。ただし、かなり重量のかさむ重たい靴だった。
そこで遠征隊が高所で使用する重登山靴ではなく、ベースキャンプとなる場所までの長い距離を快適に歩くための靴、『軽登山靴』の製作を任されたのが、キャラバンシューズの生みの親となる株式会社山晴社(後の株式会社キャラバン)創業者・佐藤久一朗である。
試行錯誤を繰り返して、
ついに完成した軽登山靴。
高所用よりも軽く、履きやすく、歩きやすい靴。長い道のりを歩くキャラバン用 (隊を組んで辺地へと進む一団)の軽登山靴の誕生は、遠征隊員たちの切なる想いとともに、マナスル登頂への挑戦にはなくてはならない、唯一無二の存在となっていた。 最初の設計は従来の重登山靴を参考にしながら、甲を一枚革にしてゴム底を縫い合わせた登山靴。完成は第一次登山遠征隊の出発直前、1953年のことだった。
だが、マナスル登頂への道のりは困難を極め、第一次登山隊は敗退。それでも翌年に第二次登山隊を派遣するため、現在の価値にして6億円にもあたる遠征費が集められた。しかも、その3分の2ほどが一般からの募金で賄われている。
戦後から僅か9年しか経っていない1954年の出来事である。それだけ日本国民が『復興日本』と、日本人による『マナスル初登頂』に思いを重ねていたのだろう。
遠征が現実味を帯びてくるなか、さっそく第二次登山隊のための登山靴作りが開始される。ただし、製作は従来の靴作りとは全く異なる角度からのアプローチを試みることになった。それが、【布とゴムの接着】である。
実は、第一次登山隊が出発して以降も藤倉ゴム工業株式会社(現 藤倉コンポジット株式会社)と技術開発を続け、それまで困難とされてきた布とゴムの接着に成功したのである。その技法を取り入れ、第二次登山隊用の軽登山靴は完成した。しかも遠征隊員全員の足形を調べて、一人一人の木型を製作し隊員それぞれにぴったりと合う登山靴を作り上げたのである。
1952年 マナスル登頂のアプローチシューズとして開発。
1953年 プロトタイプ完成。
大衆登山ブームの火付け役。
日本人に愛された軽登山靴の代名詞、キャラバンシューズの誕生。
国民からの援助も受けて挑んだ第二次登山隊だったが、マナスル登頂はこの時も成し遂げられなかった。だが遠征隊員から届いた手紙には、こう書かれていたという。
≪ この度の布製の靴は快調です。キャラバンと愛称し、皆よろこんで履いています。
こんな険しい山旅によい靴なら、日本の山歩きに最適なはずです。日本の登山界のために市販されるべきでしょう。≫
すでに会社設立の構想が固まりつつあった中、最終的に設立を決心させたのは遠征隊員から届いた、この手紙であった。1954年6月19日、東京銀座に株式会社 山晴社(現 株式会社 キャラバン)を創業する。
量産技術を開発した藤倉ゴム工業 株式会社(現 藤倉コンポジット株式会社)の協力を得て、同年初夏、ついに山晴社の商品第一号としてキャラバンシューズが発売された。帆布のアッパーにゴム製のラグパターンソールを組み合わせて、重さは約410g(24.0㎝片足)。当時の登山靴としては非常に軽量だった。 靴にはエンブレムが取り付けられており、刻印には『FUJIKURA’S Caravan Shoes 日本山岳会推薦』と記されている。発売当時の価格は1600円。(当時の大卒初任給が1万3000円弱)当時の物価からすると、決して安いものではなかったことがうかがえる。
そして背水の陣で臨んだ第三次登山隊は、すでに量産化された市販のキャラバンシューズを履いてマナスル登頂を目指した。あまりにも評判の良かったキャラバンシューズであったため、遠征隊員だけでなく現地のシェルパにも提供された。
1954年 第一号を市販。
プロトタイプ仕様に加え、くるぶし部分にエンブレム・ガードをプラス。
1956年5月9日。日本山岳会隊がヒマラヤ・マナスル初登頂を成し遂げる。世界中の登山家が登頂を目指すなか、日本人が初めて8,000m級の頂に立った快挙に、日本中が沸き立ったのである。毎日新聞社の一面に大きくニュースとして掲載されて以降、国内ではいわゆる第一次登山ブームが巻き起こり、キャラバンシューズはその追い風を受けて急速に販売数を伸ばしていった。
その後、度重なる仕様変更やモデルチェンジを繰り返しながら1959年、現在の靴製造技術の原型ともいえる【化学繊維素材と合成ゴムの接着】に成功。これ以降、ナイロン素材をアッパーに採用した軽登山靴が主流となっていった。数々の革新的な技術進歩が高く評価され、1958年『通産省軽工業局長賞』、1961年『通産大臣賞』、1962年『ブルーリボン賞』、1963年『総理大臣賞』を受賞した。 この時代以降、軽登山靴の代名詞と言われるまでにキャラバンシューズは急成長していった。
1960年代以降はキャラバンシューズのラインナップに幅が広がり、『デラックス』 『スーパー』『ヤング』『ポピュラー』『スタンダード』、ほかにもスキーブーツやアルパインクライミングシューズなど多方面での展開も図られていく。
高度経済成長の波に乗るとキャラバンシューズは一般登山家や愛好家の枠を超え、小学校・中学校の林間学校や耐寒登山などでの需要も高まり、多くの子ども達が学校行事を通じてキャラバンシューズを履くようになり、一般家庭にまで普及していく。 また、その勢いは他社にも飛び火して軽登山靴ブームを引き起こし、類似する多くの軽登山靴が市場に流通し、販売競争も始まった。
その後の1990年代に日本百名山ブーム(第二次登山ブーム)で、中高年層の方々が登山靴を店頭へ買いに行った際に、軽登山靴の総称を『キャラバンシューズ』だと思って誰もが呼んでいたという話は有名である。
長年人気を博したキャラバンシューズだったが、時代の流れやニーズの変化もあって2005年に惜しまれつつも国内生産を終了する。発売開始からの生産総数は、じつに約600万足にもおよんだ。
キャラバンシューズは類まれなロングセラーとなり、日本で一番愛用された軽登山靴となったのである。
1957年 内部にチェック生地の布張り。カラーも増え、アウトソールにトリコニーを配置。
さらにアッパーデザインの改良を行う。
1967年 ほぼ最終形が完成。
以降「キャラバンスタンダード」として超ロングセラーとなる。
1990年 履き心地の良さはそのままに、「キャラバンスタンダード」をいちだんと軽量化。
トリコニーを取り除きスパッツの使用も可能になる。
時代は再びキャラバンシューズへ。
多くの登山愛好家・入門者から絶大な信頼と期待を受け継いだ、新生キャラバンシューズの誕生。
株式会社キャラバンの体を表すキャラバンシューズの国内生産が2005年、惜しまれつつも終了。時代は、生産拠点を海外に求めていく流れであった。
しかしながら、生産が終了しキャラバンカタログや店頭からキャラバンシューズの姿が消えていくにつれ、キャラバンシューズの取扱先を求める問い合わせ電話が増えていった。ときには再販を求める手紙も届くようになる。
また、小売店からもそれに代わる登山靴への期待もあり3年後の2008年、新生キャラバンシューズとして『C1』を発表する。
折しもC1が発売されたのは富士登山が盛り上がりを見せ、山ガールブームが巻き起こった年。中高年登山者による第二次登山ブームに続く、第三次登山ブームと言われる時代の幕開けとなった年である。「新生キャラバンシューズとして復活させたい」という想いと時代がマッチングしたことで、一気にベストセラーモデルの一つとなった。
2010年には更なる改良が施され、モデルチェンジが行われた『C1_02』を発表。 その4年後となる2014年にも履き心地の向上を図った、三代目キャラバンシューズ 『C1_02S』を発表して現在に至る。
2008年
新生キャラバンシューズとして「C1」を発表。
2010年
つま先TPUガードやデザイン改良が加えられた「C1_02」が登場。
2014年
さらに履き心地よく改良した「C1_02S」
三代目キャラバンシューズを発表し現在に至る。
さらなる多様化が求められる、時代だからこそ。 継承、そして進化。
2024年、キャラバンシューズが誕生してから70年を迎える。
その間、生活様式の変化とともに山の楽しみ方も多様化してきた。登山靴においても従来以上に軽量で柔らかい靴が求められる時代になってきたことは、店頭に並ぶ数々の登山靴を見ても理解できるだろう。
当然のことながら、キャラバンシューズもその時代の流れやニーズに応えるべく、新たな新商品『C1_DL』を、今年ついに発表する。
それは、キャラバンシューズが積み重ねてきた70年の歴史に裏付けられた継承であり、この先に歩むための進化でもある。
2024年 新商品
「C1_DL MID」
2024年 新商品
「C1_DL LOW」
の歩み
1954年 (昭和29年) |
6月19日「株式会社 山晴社」を設立。 「キャラバンシューズ」を発売 |
1955年 (昭和30年) |
総合アウトドア用品の展開を図る |
1963年 (昭和38年) |
「キャラバンシューズ」が総理大臣賞を受賞 |
1971年 (昭和46年) |
商号を「株式会社 キャラバン」に変更 |
1981年 (昭和56年) |
国産初のトレッキングシューズ「グランドキング」を発売 |
1993年 (平成5年) |
ドイツ「LEKI」ブランドの輸入販売を開始 |
1995年 (平成7年) |
イギリス「Granger’s」ブランドの輸入販売を開始 |
1999年 (平成11年) |
イタリア「CAMP」ブランドの輸入販売を開始 カナダ 「Kamik」ブランドの輸入販売を開始 |
2003年 (平成15年) |
カナダ「G3」ブランドの輸入販売を開始 |
2006年 (平成18年) |
アメリカ「22DESIGNS」ブランドの輸入販売を開始 |
2012年 (平成24年) |
アメリカ「R・M・U」ブランドの輸入販売を開始 |
2014年 (平成26年) |
6月19日 創業60周年を迎える【60周年社史】 |
2016年 (平成28年) |
スイス「SCOTT」ブランドのバックカントリースキー、トレイルランニング製品の専売代理店販売を開始 |
2017年 (平成29年) |
韓国「N-rit」ブランドの輸入販売を開始 |
2018年 (平成30年) |
イタリア「Zamberlan」ブランドの輸入販売を開始 アメリカ「UNPARALLEL」ブランドの輸入販売を開始 |
2019年 (令和元年) |
中国「DexShell」ブランドの日本アウトドア・ルート専売代理店を開始 同年6月19日 創業65周年を迎える |
2022年 (令和4年) |
自社企画新カテゴリーのアウトドアシューズ「CRV」を発売 |
2024年 (令和6年) |
6月19日 創業70周年を迎える |
東京巣鴨 キャラバン本社
70周年記念アートデザイン